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小林 寛(こばやし ひろし、1989年1月21日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == 広島県福山市の出身で、同市立西深津小学校2年生の時にソフトボールを始めた〔スポーツニッポン、2010年10月24日5面。〕。大阪府内への転居を経て、大阪市立生魂小学校3年生の時から天王寺リトル〔、堺市立浜寺小学校6年生の時に浜寺ボーイズでプレー〔。堺市立浜寺南中学校への進学後は、高石ボーイズに所属した〔。 島根県の江の川高校に進学後は、2年生の春からベンチ登録。2年生の夏に控え投手として第87回全国高等学校野球選手権大会で甲子園出場を果たすと、初戦(1回戦)の静清工業高校戦に救援で登板した。 大阪学院大学への進学後は、1年生の春から関西六大学野球のリーグ戦に登板。秋季リーグ戦では、3勝を挙げ平古場賞を受賞した。2年生の時には、春・秋季通算で9勝6敗を記録。3年生の春季リーグ戦では、リーグトップの6勝でチームの2位躍進に貢献するとともに、最優秀投手賞を獲得した。また、大学日本代表候補にも選ばれている。 4年生で迎えたの春季リーグ戦では、チーム18年振りのリーグ優勝に貢献(詳細後述)。5月22日の龍谷大学戦でノーヒットノーランを達成するなど、4完封勝利、防御率1.08も記録したことから、最優秀投手賞とMVPを獲得した。なお、チームの優勝によって進出した全日本大学野球選手権大会では、1回戦の金沢学院大学戦に先発で登板。9奪三振を記録したが、被安打11で敗戦を喫した。 関西六大学リーグ戦通算では、63試合に登板。35勝21敗、防御率1.46の成績を残した。完投数(47)と完封勝利数(15)は、いずれも通算成績でリーグ歴代1位。勝利数(35勝)・奪三振数(390)は、オリックス・バファローズ投手の平野佳寿が京都産業大学時代に残した記録(36勝・404奪三振)に次ぐ歴代2位である。 2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議で、横浜ベイスターズから4巡目で指名。11月22日に契約金4500万円、年俸1000万円(いずれも推定)で契約した〔横浜 ドラフト4位の小林と契約 スポーツニッポン2010年11月22日配信〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林寛 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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